2005年 11月 08日
おもて |
僕は今、新聞記事のデータベース化・WEBサイト掲載のための記事編集・校正作業の仕事をしている。
作業者1人が1日に処理する記事本数は概ね100本程度。
記事の本文・見出しなどは既にデータとして存在しているので、僕達が新聞を見ながら一文字一文字入力する必要はない。
それらのデータを記事単位ごとに組み合わせ、見出しをWEB向きに作り変え、それに記事の属性などの付加情報をつけ、一本の記事となる。
僕が扱っているのは主に東日本地域で配達される「東京朝刊」と呼ばれる紙面。
22時に出勤、まずはそれぞれの配達地域に関わるニュースを取り上げた「地方版」の作業に入る。
1時ごろには一旦休憩、2時過ぎからはその他の面の作業。
政治・経済・外電・社会・スポーツ・家庭・その他特集など20数面に渡る記事を皆で分担しながら入力・校正をする。
締め切りの6時に間に合わせ作業終了だ。
数日前の帰宅途中。
携帯を見ると着信が何度かと1通のメールが来ていた。
時間はいずれも夜中1時過ぎ。
全て同じ友人からだった。
メールを開く。
「Aさんが亡くなりました。交通事故だったそうです。」
Aさんとは大学生時代1~2回遊んだことがあった。
同じアパートに住んでいて仲良くなった友人Bの故郷・埼玉の友達で、僕達が大学生活を送っていた静岡・浜松にたまたま遊びに来ていたときに紹介してくれた。
実はそのときのことはあまり覚えていない。
小柄で浅黒い肌でいかにもスポーツマンな感じで、話も面白く愛嬌のある人だった印象が残っているくらいだった。
もう4年くらい前だろうか。
それ以来一度も会ってはいなかった。
まだ25だ。
本当に残念なことだとしか言いようがない。
Bの心中を察するとやりきれなかった。
そのメールにはお通夜の日取りも書かれていた。
あいにくその日は仕事だった。
昼夜逆転の生活で、眠たい顔してお通夜に行くのもいかがなものか。
なにより、1~2回しか遊んだことがない奴がお通夜なんかに顔を出して失礼なのではないか。
本当に仲の良かった人たちだけで故人を偲んだほうがいいのではないか。
そんな理由でお通夜に行くのは遠慮する旨を伝えた。
訃報が届いた日の夜も仕事だった。
職場に着くといつも前日の記事をチェックする。
入力ミスなどが校正されていたり、ある程度大きな事件などの動向を把握しその日の作業に生かすためだ。
何気なく僕が前日編集していた埼玉版に目を通した。
愕然とした。
そこにはAさんの事故の記事があった。
もちろん、前日、僕が処理していたのだ。
僕はその記事に目を通していたはずなのに気付かなかったのだ。
Aさんが交通事故にあって亡くなっていたことを。
悔しかった。
それほど仲が良かったわけでなかった。
正直「Aさんはいまごろなにしてるんだろう」なんて思うようなこともなかった。
でも悔しかった。
説明しにくい感情。
自分の無神経さに腹が立ったのかもしれない。
その記事には、事故の状況が客観的に、痛いくらい客観的に書かれていた。
否が応にも画を想像した。
やりきれなかった。
そしてそのことにすら腹を立てていた。
たばこを何本すっても落ち着かなかった。
それでも新聞は毎日のニュースを伝える。
目に付くのは交通事故の記事ばかりだった。
その度にあの説明しにくい感情に陥る。
そんなとき、訃報を伝えてくれた友人からメールが入る。
そこにはBからの伝言があった。
「あいつの人生に関わった全員で見送ってやりたい」
その言葉に僕は素直に答えることができなかった。
お通夜に出ることがAさんの供養になるとはもう思えなかった。
そんな心構えでお通夜に顔を出せるとは思えなかった。
お通夜に行くことが、自分に区切りをつけるためとしか思えなかった。
本来、お通夜とか告別式とかはそのためにあるのかもしれない。
でも僕にはお通夜に出る資格なんかないと思った。
僕は結局お通夜には行かなかった。
多分彼らのような友を持てたのだから、いいお通夜だったと思う。
僕はAさんのことをずっと憶えていようと思う。
それくらいしか僕にできることはない。
そして。
生きている人は死ぬべきではない。
あなたが死んだことで悲しむ人はたくさんいる。
というか俺が悲しい。
どうか、なるべく死なないでください。
Aさんのご冥福をお祈りいたします。
2005年11月8日
山田誠
作業者1人が1日に処理する記事本数は概ね100本程度。
記事の本文・見出しなどは既にデータとして存在しているので、僕達が新聞を見ながら一文字一文字入力する必要はない。
それらのデータを記事単位ごとに組み合わせ、見出しをWEB向きに作り変え、それに記事の属性などの付加情報をつけ、一本の記事となる。
僕が扱っているのは主に東日本地域で配達される「東京朝刊」と呼ばれる紙面。
22時に出勤、まずはそれぞれの配達地域に関わるニュースを取り上げた「地方版」の作業に入る。
1時ごろには一旦休憩、2時過ぎからはその他の面の作業。
政治・経済・外電・社会・スポーツ・家庭・その他特集など20数面に渡る記事を皆で分担しながら入力・校正をする。
締め切りの6時に間に合わせ作業終了だ。
数日前の帰宅途中。
携帯を見ると着信が何度かと1通のメールが来ていた。
時間はいずれも夜中1時過ぎ。
全て同じ友人からだった。
メールを開く。
「Aさんが亡くなりました。交通事故だったそうです。」
Aさんとは大学生時代1~2回遊んだことがあった。
同じアパートに住んでいて仲良くなった友人Bの故郷・埼玉の友達で、僕達が大学生活を送っていた静岡・浜松にたまたま遊びに来ていたときに紹介してくれた。
実はそのときのことはあまり覚えていない。
小柄で浅黒い肌でいかにもスポーツマンな感じで、話も面白く愛嬌のある人だった印象が残っているくらいだった。
もう4年くらい前だろうか。
それ以来一度も会ってはいなかった。
まだ25だ。
本当に残念なことだとしか言いようがない。
Bの心中を察するとやりきれなかった。
そのメールにはお通夜の日取りも書かれていた。
あいにくその日は仕事だった。
昼夜逆転の生活で、眠たい顔してお通夜に行くのもいかがなものか。
なにより、1~2回しか遊んだことがない奴がお通夜なんかに顔を出して失礼なのではないか。
本当に仲の良かった人たちだけで故人を偲んだほうがいいのではないか。
そんな理由でお通夜に行くのは遠慮する旨を伝えた。
訃報が届いた日の夜も仕事だった。
職場に着くといつも前日の記事をチェックする。
入力ミスなどが校正されていたり、ある程度大きな事件などの動向を把握しその日の作業に生かすためだ。
何気なく僕が前日編集していた埼玉版に目を通した。
愕然とした。
そこにはAさんの事故の記事があった。
もちろん、前日、僕が処理していたのだ。
僕はその記事に目を通していたはずなのに気付かなかったのだ。
Aさんが交通事故にあって亡くなっていたことを。
悔しかった。
それほど仲が良かったわけでなかった。
正直「Aさんはいまごろなにしてるんだろう」なんて思うようなこともなかった。
でも悔しかった。
説明しにくい感情。
自分の無神経さに腹が立ったのかもしれない。
その記事には、事故の状況が客観的に、痛いくらい客観的に書かれていた。
否が応にも画を想像した。
やりきれなかった。
そしてそのことにすら腹を立てていた。
たばこを何本すっても落ち着かなかった。
それでも新聞は毎日のニュースを伝える。
目に付くのは交通事故の記事ばかりだった。
その度にあの説明しにくい感情に陥る。
そんなとき、訃報を伝えてくれた友人からメールが入る。
そこにはBからの伝言があった。
「あいつの人生に関わった全員で見送ってやりたい」
その言葉に僕は素直に答えることができなかった。
お通夜に出ることがAさんの供養になるとはもう思えなかった。
そんな心構えでお通夜に顔を出せるとは思えなかった。
お通夜に行くことが、自分に区切りをつけるためとしか思えなかった。
本来、お通夜とか告別式とかはそのためにあるのかもしれない。
でも僕にはお通夜に出る資格なんかないと思った。
僕は結局お通夜には行かなかった。
多分彼らのような友を持てたのだから、いいお通夜だったと思う。
僕はAさんのことをずっと憶えていようと思う。
それくらいしか僕にできることはない。
そして。
生きている人は死ぬべきではない。
あなたが死んだことで悲しむ人はたくさんいる。
というか俺が悲しい。
どうか、なるべく死なないでください。
Aさんのご冥福をお祈りいたします。
2005年11月8日
山田誠
by mymy5619
| 2005-11-08 12:08
| 私事